Music

63

リバーサイドで逢いましょう<'89.7.21>

作詞:小林和子 作曲:濱田金吾 編曲:船山基紀

2月に香港とバンコク、3月にブラジル・サンパウロのコンサート、6月にはミュージカル『坂本龍馬』と積極的に活動の域を広げる。 この年から大阪・新歌舞伎座で座長公演も開始する。新歌舞伎座での公演では前例がないほど、朝一で座長が楽屋入りするので全員入り時間が自然に早くなるという現象を起こし、朝のストレッチを全員で行ない、規則正しい生活をしていたにもかかわらず左足の人差し指を骨折してしまい、それでも舞台を続けた。
62

33才/Try Today<'88.11.1>

作詞・作曲:J. IGLESIAS 編曲:萩田光雄 訳詞:なかにし礼

2年振りに出したアルバム「33才」はフリオ・イグレシアスの同名タイトルのカバー曲。33才になったら必ずこの曲を歌いたいといっていた。 この年はドラマにもよく出演した。『CAT'S EYE』『妻たちの鹿鳴館』『くねり坂』と役者としての評価も高くなった。スキューバダイビングでモルジブに行く。クーデター騒ぎで首都のマレのあちこちが銃弾のあとでいっぱいだったが無事にTVの正月特番の収録終了。
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ONE ~愛する人のために~<'88.8.31>

作詞:長岡美和 補作詞:山川啓介 作曲・編曲:松下 誠

民放連の交通安全キャンペーンソング。シングルレコードには「33才」が、シングルCDには「Sail Again」がカップリングされている。この曲「ONE ~愛する人のために~」は、ラジオの民放連のキャンペーンソングだったこともあり、いままで発売されたシングルで初めてテレビで歌う姿が見れなかった曲である。 9月にはソウルオリンピックの前夜祭で「傷だらけのローラ」を歌う。韓国で初めて日本語の歌がオフィシャルに電波にのった。またこの模様は衛星中継で世界137ケ国に放映された。
60

夏の誘惑<'88.7.6>

作詞:なかにし礼 作曲:井上大輔 編曲:船山基紀

久しぶりにフルオーケストラアレンジのスケールの大きい楽曲。六本木の自由空間 ノマドで新曲発表会が開かれた。この頃になると赤坂・六本木より自由ケ丘パパス&ママスや田園調布 鳥 など郊外へと活動や食事場所が変わって行く。 久しく通っていなかったヴォイストレーナーの大本恭敬に再レッスンを申込み、基本からもう一度再チェックしてほしいとのオファーをしたが、師いわく「もう教える事など何もない、その姿勢があればいいんだ」といわれ近年の歌唱に疑問を抱いていたHIDEKIに自信を取り戻させた。師は師である。
59

Blue Sky<'88.4.1>

作詞:なかにし礼 作曲:井上大輔 編曲:村松邦男

ジャケットはオーストラリアのゴールドコーストで撮影されたもの。アサヒビールのキャンペーンソングでゴルフの青木 功とジャンボ尾崎の出演しているコマーシャル"コクがあるのにキレがある"に使用された。この楽曲からシングルCD化された。スタイリストも藤原万里子になった。
58

心で聞いたバラード<'87.11.21>

作詞:上杉伸之助 作曲:濱田金吾 編曲:大谷和夫

グレートバリアリーフでダイビングした映像が全曲英語によるスタンダードアルバム『STRANGERS IN THE NIGHT』とドッキングして『ADVENTURE IN THE REEF』というビデオとレーザーディスクが発売された。スキューバダイビングも5年目に入り何か作品として残したいという意見を取り入れ作られたもので、趣味のカメラで写真集『MY SELF』を出した様に"好きこそものの上手なれ"というように生き生きとしている。しかしダイビングも趣味じゃなく仕事として潜るのはなかなか大変で、この時は30本ほど潜った。
57

NEW YORK GIRL<'87.5.21>

作詞・作曲:H. HEWETT-G. DUKE  編曲:G. DUKE  訳詞:秋元康

ジャケットはハウスジャワカレーで共演した大滝詠一の『ロング・バケーション』のジャケットでお馴染みのイラストレーター永井 博のもの。ロスのジョージ・デュークのプライベートスタジオでレコーディングされた。プロバスケットのマジック・ジョンソンと大親友という彼はとても気さくでグラミー賞の当日までトラックダウンを行ない、受賞後のプライベートパーティーに当時のディレクター岡村右をさそった。HIDEKIは一足先に帰国していたが、このパーティーにはマイケル・ジャクソンやクインシー・ジョーンズやダイアナ・ロスなどそうそうたるメンバーが出席しており、ダイアナ・ロスは東京音楽祭で会ったHIDEKIの事をよく覚えていたそうだ。 この年の夏、琵琶湖で『アジアポップス』が開催されジャッキー・チェン、趙容弼(チョー・ヨンピル)らと出演。打ち上げは朝まで盛り上がった。
56

約束の旅~帰港~<'86.12.5>

作詞:森田由美 作曲・編曲:後藤次利

NHK朝の連続テレビ小説『都の風』のイメージソング。オファーがあってから制作日数がすくなかったのでアルバムの楽曲をリメイク。タイトルを変更して発売する。コンサートのエンディングに使われていたHIDEKIお気に入りの1曲。また、翌年3月には北京・首都体育館、廣州・中山記念堂ではじめての中国コンサートを開く。廣州のコンサートは児童福祉会館のエレベーターの建設のためのチャリティコンサートでそのエレベーターは“西城号”と命名された。 コンサート終了後、香港で初の主演映画『天使行動(Angel)』に出演。香港での3ケ月間は、ジャッキー・チェン、レスリー・チャン、ジョイ・ウォンなどと友好を深めることはできたが、香港独特の撮影秘密主義に悩まされ、正月から続けていた禁煙をあっさりと断念。ナーバスな日々を過ごした。
55

Rain of Dream 夢の罪<'86.9.5>

作詞:松本一起 作曲:沢村拓二 編曲:難波弘之

写真集『BODY』からのバリエーションの写真をシングルのジャケットにした。写真集は武藤 義の撮りおろしでハワイでロケを行なう。ヒデキはターザンであるとのコンセプトで製作された。ヘアースプレーやディップで固めたパンクっぽいヘアーが印象的。この年のファンクラブツアーはグアム島へ。香港などからも参加者がいた。
54

追憶の瞳~LOLA~<'86.4.10>

作詞:大津あきら 作曲:関口敏行 編曲:船山基紀

映画『傷だらけの勲章』の役作りのため、髭をのばしたままのジャケット。カップリングの「City Dreams From Tokyo」はシチズンのCMソング、日本ではなくアジア各国で放映された。初めて海外CMに出演した。日本では映像が見れなかったのが残念。また、映画はエジプトとシンガポールでロケを決行。
53

腕の中へ~In Search of Love~<'85.11.21>

作詞:A. RICH 作曲:B. MANILOW-H.RICE  編曲:船山基紀 日本語詞:吉田美奈子

前述、ATTUNEのブライアンとユミのプロモーションのお陰でロスのFM局から「抱きしめてジルバ」が聞けるようになる。あるステーションではワム!のオリジナルよりフィーリングがいいといって頻繁にかけてくれる所もあった。バリー・マニロウもFMでこれを聞いて最初ジョージ・マイケルが日本語でカバーしたのかと思ったらしい。ところがHIDEKIだったという事を聞いたのと日本からバリーに作曲のオファーがあったのと同時期だったので、人見知りで有名な彼がOKを出したという事だった。当初コーラスの部分だけ英語なのでバリーに参加してほしいとオファーしたらバリーの方から難しいのを承知で日本語でトライさせてくれとの申し出があった。本人から直接聞いた時には驚かされたが、マネージャーのゲーリー・キーフも権利の問題など後回しでとにかく日本とアメリカのトップアーチストが乗って仕事をしているのだから良いものを作るのが先決と柔軟に対応してくれた。 『夜のヒットスタジオ』での共演の振付けは音合せが終わった後2人の楽屋で即興で考えられたもの。
52

Beat Street<'85.9.5>

作詞:吉田美奈子 作曲・編曲:角松敏生

アルバム『TWILIGHT MADE…』からのシングルカット。レコードジャケットも同じものからアレンジされた。イラストは神田和則。また、このアルバムはCD化されたが一般にはCD機がそんなに出回っておらずリリース数が少なかった為貴重な一枚となっている。価格は¥3,500と高価だった。 ロスにアメリカ進出の拠点としてATTUNEと業務提携。
51

ミスティブルー<'85.5.9>

作詞:森田由美 作曲:岡本 朗 編曲:萩田光雄

コーセー化粧品のイメージソング。ヘアーメイクは夏井忠男。SFX特殊メイクで自分の老後に変身。デスマスクならぬライフマスクを石膏で製作、特殊ラバーで型から雛形を起こし製作に約1週間かけて作られた。特殊メイクアーチストは後に劇団四季の『キャッツ』など手掛ける山田 操が携わっていた。また、HIDEKIと同じ顔のお面(この石膏から作られたかなり精巧なもの)を付けたダンサーが登場するこの夏の『MISTY TOUR』は日本ばかりでなく香港・シンガポールでも話題になった。いち早くイヤーカフをしているレコードジャケットの色彩感覚がモノトーン調の前2作とは異なっている。髪の毛にもカラーメッシュが…。プロモーションビデオは堤 幸彦の演出で都内各所と浜松の砂丘まで行って2日がかりで撮影、編集には3日ぶっ続けで行なわれた。
50

一万光年の愛<'85.2.5>

作詞:大津あきら 作曲・編曲:井上大輔

『つくば万博』開会式のテーマソング。1月19日武道館でのシングル盤50曲発売記念コンサートで初披露。また、このコンサートでは今まで発売された50曲全てを歌唱。森 光子などがお祝いに駆けつけた。このコンサートのパンフレットにオールヌード登場。東南アジアでも話題に。また、『つくば万博』のオープニングでは皇太子殿下(現天皇陛下)と礼宮さまの御前でNHK交響楽団をバックに歌唱。
49

抱きしめてジルバ-Careless Whisper-<'84.10.15>

作詞・作曲:G. MICHAEL-A.RIDGELE  訳詞:森田由美 編曲:丸山恵市

ステージ衣裳もレコードジャケットもリネアフレスカ一辺倒。プライベート面では、食事は六本木の楓林など、香港公演以来中華系が多くなる。私服もGパンからバレンチノやチェルッティなどスーツ系が増える。また、この楽曲は郷ひろみと競作になって話題に。レコードのセールスはHIDEKIが勝った。香港からゴールドディスクをおくられる。
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背中からI LOVE YOU<'84.7.5>

作詞:売野雅勇 作曲・編曲:後藤次利

カップリングの「パシフィック」をカットしたかったが病気明けでバラードというのは…、という事で"タキシードでロックを"というテーマでこの曲を選んだ。ブレイクダンス風な振付けが印象的。プロモーションビデオもミラージュやADOという3次元のエフェクターを使用。最新の映像処理が施されている。ファンクラブ400人とハワイツアーを行なう。 八ケ岳で合宿し20代最後のコンサートツアー『JUST RUN』を行なう。コンピューターサウンドをコンサートにも使う。オーバーハイムのリズムボックスやシモンズやローランドのMC-4など。照明もレーザー光線、音響もターボサウンドのスピーカーと当時のハイテクを駆使したステージで『スター・ウォーズ』の様と評価される。
47

DO YOU KNOW<'84.1.25>

作詞:湯川れい子 作曲:小田啓義 編曲:大谷和夫

フジテレビ系『スターかくし芸』で流鏑馬(やぶさめ)に挑戦、満点を取る。この曲のプロモーションビデオ撮影中に倒れ、東京女子医大に入院。「低髄液圧症侯群」という病名で37日間仕事を休む。入院中に桃井かおり、松田優作、原田芳雄が、面会謝絶を突破して、また松田聖子もお見舞いに来た。 雪の多い年で、病室からいつも残り雪が見えた。 リハビリを入れると59日ぶりにCX『夜のヒットスタジオ』で復帰。 鳳蘭とのミュージカル『デュエット』に出演。 衣裳はジェラルド。
46

哀しみのStill<'83.9.15>

作詞:森田由美 作曲・編曲:後藤次利

11月にギリシャのロードス島で行なわれた『エーゲ海マラソン』にゲストとして参加。ロードス島の名誉市民になる、ちなみに第1号の名誉市民は2000年前のジュリアス・シーザー。日本人では2人目。1年に3日しか雨が降らないこの島でマラソンの当日雨を降らせた。"雨男"は健在?
45

ナイト・ゲーム(NIGHT GAMES)<'83.6.1>

作詞・作曲:E. HAMILTON 編曲:前田憲男 訳詞:山本伊織

元レインボーのグラハム・ボネットのカバー曲。短くした髪が馴染んでくる。オフィス・モコから出張してもらって髪をカットしていた。 8月6日に10回目の大阪球場コンサート『BIG GAME '83HIDEKI FINAL IN STADIUM CONCERT』が開催された。10年間の全てのセットを見せようという事で未だに伝説になっているヒデキの球場コンサートの幕を閉じた。美術デザインは10年間を通して舞台美術界の巨匠・松下 朗が携わっていた。アンコールのホットパンツ姿はこれが見収め。
44

ギャランドゥ<'83.2.1>

作詞・作曲:もんたよしのり 編曲:大谷和夫

この年独立したのをキッカケに伊藤五郎美容室で髪を短くカット。衣裳も倉科裕子に代わり読売ランドの発表会では、色鮮やかなジャージ生地のボロファッションを着る。 サイパンでスキューバダイビングに初挑戦。その後、グァム島でPADIのオープンウォーターダイバーのライセンス(Cカード)を所得。現在まで続いている趣味のひとつになる。初めて買った3点セットはスキューバプロの物。ぺったんこのBCとジェットフィンが気に入っていた。レギュレーターはダーコーのものだった。
43

漂流者たち<'82.9.30>

作詞・作曲:石坂まさを 編曲:瀬尾一三

NTV『ホームスイートホーム』の主題歌。また、久しぶりのレギュラードラマ出演。桃井かおりと初めてのキスシーン。 TBSのベストテンなどで涙を流しながら歌うシーンが印象的。ファンの心配の電話・手紙が殺到した。これは、成功の保証もなく故郷の広島から期待と不安を胸に抱いて上京した旅立ちの日とオーバーラップしてのこと。
42

聖・少女<'82.6.21>

作詞:松本 隆 作曲:吉田拓郎 編曲:瀬尾一三

同県人の吉田拓郎とはデビュー前に面識がある。広島でHIDEKIがザ・ベガーズというバンドを組んでいた時にアマチュアバンドのコンテストで会っている。小学生のドラマーに驚かされたそうだ。恒例の大阪球場コンサートは連続9回目を迎えバルーンが登場。 ヘアーはイエスジョージから独立した白金台 ブラックベイビーの三浦七翁。 ニッポン放送で『こちら女学院前、伊集院与作のまろはごきげん!』という番組名で架空のDJを演じる。
41

南十字星<'82.3.25>

作詞:竜 真知子 作曲:水谷公生 編曲:佐藤準

東宝の創立50周年記念映画、日本とオーストラリアの合作で同名のタイトルの主題歌。新曲発表会を兼ねて赤坂プリンスホテルで『ありがとう青春3650日』と銘打ってデビュー10周年を兼ねた誕生日パーティーを開いた。ゲストには島田陽子などが駆けつけた。 歌衣裳は白、十字架のような振付け。この頃の私服はアストンボラージュやジェラルド。ストンウォッシュの皮のジャンパー、パンツなどが好み。ウォークマンとミニスピーカーをいつも携帯していた。また、この年のテーマは、「冒険心100%」だった。
40

ジプシー<'81.12.20>

作詞:森 雪之丞 作曲:鈴木キサブロー 編曲:船山基紀

趣味のカメラ撮影で『近代映画』に「エンジョイ! 西城秀樹のカメラトーク」というページを持つ。真田広之、松田聖子などのグラビア撮影を行ない自分自身をもセルフタイマーで撮影し後に『MY SELF』という写真集を出す。使用カメラはニコンFにモータードライブ付き(35mm)とハッセルブラッド(60mm×60mmのフィルム)を使用。この頃の趣味は他にトランペット(コルネット)もあった。
39

センチメンタル・ガール<'81.9.5>

作詞:あまがいりゅうじ 作曲:鈴木キサブロー 編曲:若草 恵

代々木公園にてジャケットを撮影。この頃お気に入りのジーンズはヴィダル・サッスーンやカルバン・クライン。9月12日~14日まで香港で初めてのコンサートを伊利沙泊体育館(クイーンエリザベスホール)でひらいた。5月にゲスト出演した亜細亜テレビ『香港音楽祭』の視聴率が90%を越えたため一躍トップスターになる。新聞の形容詞もそれまでの"赤旗星(スーパースター)"から"天皇巨星(超スーパースター)"へと表記が変わった。香港でプラチナディスクを獲得し、その人気はファンクラブが出来、親衛隊が日本にまで応援に来るほどであった。なおファンクラブは現在も健在。当時の副会長に後に香港を代表するスターになったアニタ・ムイがいた。
38

セクシーガール<'81.6.21>

作詞・作曲:横浜銀蝿 編曲:若草 恵

沖縄ムーンビーチで行なわれた『BIG SUNSHINE '81』と銘打った同曲の新曲発表を兼ねたコンサートでは海からジェットスキーに乗って登場した。衣裳は、上はウエットスーツのベストにHIDEKIのネーム入りで黒のビキニの水着に金の葉っぱの刺繍をあしらったタイトル通りセクシーなデザインだった。また、この楽曲でシングルレコードのセールスをトータルで1,000万枚を突破した。日本ビクターの大和工場で自らプレスした。実は、この工場を訪れたのは2度目で、前回は「ヤングマン」の時で、緊急発売という事で発売日までに間に合うよう残業して下さる様お願いを兼ねて訪れ工場の方々の前で歌った。『BIG GAME '81』の衣裳は山本寛斎デザインによるもの。背中に刺繍のついた銀色のジャンプスーツが印象的。JACがゲストでスタントシーンやプロパンガスを1tも使った"炎"のカーテンも。
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リトルガール<'81.3.21>

作詞:竜 真知子 作曲・編曲:水谷公生

10周年という事でトータルプロデューサーに伊集院 静を迎える。「変身元年」というテーマでレコードジャケットは四谷スタジオで7~8時間かけて伊集院氏立合いのもと行なわれた。これまでリリースしたシングルの内30曲がベスト10入りという驚異の記録をマークした記念作品となった。ポップスとロックンロールをあわせた「ポップンロール」という造語で以降の3作品は後にガールシリーズと呼ばれる。また歌以外の活動では、ドラマで緒方 拳と共演したり(NTV系『青年・さらば愛しき日々よ』)、NTV『モーニングサラダ』の司会をしたりと芸能活動の範囲をひろげた。『モーニン~』は伊藤つかさ、とんねるず、財前直美などを輩出。スタッフには宮下康仁、堤 幸彦、秋元康などがいた。
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眠れぬ夜<'80.12.16>

作詞・作曲:小田和正 編曲:船山基紀

レコードジャケットが2種類ある。前回の「俺たち~」は政治的な理由からであったが、今回は印刷技術のミスで睫毛が"つけ睫毛"の様に見えるため全身のポーズからウエストアップのものに差し替えられた。テレビの歌衣裳は山本寛斎のセーター。これは山本寛斎のファッションショーにモデルとして出演したのがキッカケ。また、この楽曲では日本で初めてヴォーカルにイーブンタイド社のハーモナイザー(機械を使って声のピッチをずらし2重音声にする機械)というエフェクターが使用された。
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サンタマリアの祈り<'80.10.5>

作詞:なかにし礼 作曲:川口 真 編曲:服部克久

ジャケットの黄色い薔薇の花束はたくわえた髭を隠すために用意された小道具だった。フジテレビ系『夜のヒットスタジオ』でポール・モーリア・グランド・オーケストラの演奏で熱唱した。全国防犯運動のため品川警察所の1日警察署長を務め、約2時間品川区内をオープンカーでパレードした。 恒例の11月3日の武道館リサイタルでは皮のホットパンツとベストにビーズのついたブーツというインディアンコスチュームが話題に…。
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エンドレス・サマー<'80.7.21>

作詞:岡田富美子 作曲:水谷公生 編曲:船山基紀

完成したばかりの新宿アルタのベランダでキャンペーンを行ないアルタ前の歩道や広場がファン1万人(新宿警察発表)以上の人で埋めつくされた。歌衣裳はメロウピンクとライトブルーの中間色のビニール生地のパンツ2種で上衣は白の網に貝殻などのアクセサリーが付いていた。冷夏といわれた夏で後楽園球場や大阪球場のコンサートを含め雨に祟られる事が多く晴天祈願のためヒゲをのばす。ちなみに、球場コンサートのオープニングはスペース・イーグルにまたがり「Eyes of the World」を歌いながら宇宙服のようなファッションで登場。途中で空中ブランコに乗るシーンは、白、グリーン、濃いピンクの三色のタイツの衣裳とともに印象的であった。
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俺たちの時代<'80.6.5>

原作詞:熊野昌人 補作詞:たかたかし 作曲:水谷公生 編曲:佐藤 準

レコードジャケットが2種ある。千駄ケ谷の国立競技場のアンツーカーのトラックで撮影されたものは、モスクワオリンピックの応援歌用だったが、日本不参加のため急遽ジャケットも差し替えられた。新曲発表会はユネスコ村でビニール素材(金と赤)にプラスチックのサングラスとアクセサリー。この頃の座右の銘「一生青春」。
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愛の園 (AI NO SONO)<'80.3.21>

作詞・作曲:STEVIE WONDER 追詞:山川啓介 編曲:坂本龍一

レコードジャケットは休暇も兼ねていったグアム島で撮影されたもの。TBS『ザ・ベストテン』でグアム島からビンに詰めたメッセージを100本流したのだが現在に至るまで1本も日本に流れついていない。一体何処へいってしまったのだろう。また、同番組にスティービー・ワンダーからのメッセージが届いた。そして、この年、劇団四季の浅利慶太演出で日生劇場でロングリサイタルを行なう。第2部で着た黒のサテン地のパンツに白のブラウス、首に黒のリボンタイ、左手のみ皮の手袋というシンプルな衣裳は印象的だった。
31

悲しき友情<'80.1.5>

作詞:山川啓介 作曲:筒美京平 編曲:水谷公生

前年のスケジュールは、流行性感冒で倒れた1週間を除けば公休は1日だけ。その休みの日には夕方から『007/ムーンレイカー』を鑑賞した。日本一忙しい男の休日は新聞で報じられたほど。また、恒例の正月コンサートの衣裳は、赤のラメにワッペンや光物のチェーンがほどこしてある上下。同じ生地の帽子もありかなり派手な衣裳だった。/dd>